30歳、これまでとこれから。

このブログには私が読みたいことを書きます。つまり自分のために書くブログなのです。
かつて読んだ本に、読みたいことを書くということが読者としての文章術であると書かれていました。自分が面白くもない文章を他人が読んで面白いわけがないとのことです。まったくその通りだと思いました。そう言われて書き出してみますが、これが読みたいんだと書き連ねることは難しいなと、感じています。
30歳とは、世間ではいかにも人生の一大イベントであり大きな節目の重要な歳をとることになっていますね。私の30歳デビューは、29歳最後の日と30歳最初の日があまりにいつもどうりすぎて拍子抜けなはじまりでした。
とはいえ、30歳かーと物思いにふける自分もいます。そうやってぼーっとしていると、「そうだこれを機に家にある沢山のノートを20代を振り返りながら整理するというのはどうだろうか。」と名案が浮かびました。
この家には大学時代(18歳)からのノートが沢山散らばっています。まずは家じゅうからノートを引っ張り出すところからだな。ということで集められるだけ集めてみました。

並べてみると圧巻で、こんなにもたくさんの事を書き残してきたのかと満たされ、達成感に包まれました。この中に私の20代、甘酸っぱい青春時代から大人の女性へのホップ、ステップ、ジャンプが刻まれている、案外私もやるじゃないか。どれどれ中身を拝見しましょう。
ノートを開くとそこに描かれていたのは、無数の落書きと直視できないような恥ずかしい妄想の類、夜中に書いたことを願わずにはいられないわけのわからない哲学など、一片のすきもなくくだらないことで埋め尽くされていました。
目も当てられないノートたちでした。よくもまあ、こんなにもありとあらゆるくだらないことを書き記したものです。わたしの20代はこんなにもくだらない日々だったのかと我ながら呆れるばかりでした。
為になることは一つも書き記されていなさそうですが、ふっと笑えるくだらない話は、これからこのブログで昇華させてもらおう。そうでもしないとあまりに不毛すぎて笑えません。
しかし、凝りもせずに現行してくだらないことが製造されているノートがあるのです。現在使っているノートたちです。くだらないとわかっているのにやめられないのです。いつか、全米が涙するような文章が生まれてくるかもしれないとヘンテコな夢が詰まっているのです。

くだらないことしか書き記されないていないノートたちですが、私は彼らをとても愛おしく思っています。様々な出会いあり、別れありのノートたちです。いっちょまえに、使い方も分けています。これまた分ける必要ありますかというような分け方ですが、使い分けています。ただかわいいノートを見つけて物欲に勝てなかっただけではないのかというような水を差す正論は受け付けません。
使い分け↓(写真の左上から順番に)
クロッキーブックM:スケッチ
Emilio Braga:スケッチ
Campus S5:お仕事ノート
Mnemosyne187:絵日記
クロッキーリーフ:いろいろな勉強用
ルーズリーフ:いろいろ勉強用
Greeful システムノートM:読書記録
加藤泉のノート:キャラクターデザイン
ほぼ日手帳:月間スケジュール、毎日のやること管理、日記、1日のログ
LEUCHTTURM1917 Medium:なんでもメモ帳
LEUCHTTURM1917 Medium Softcover:暮らしの工夫スケッチ
LEUCHTTURM1917 Master Classic:長期目標管理
こんな風に使い分けているなんて、なんだか賢そうではないですか。感心感心。今日はノートを見返すだけの一日になりそうです。20代の振り返りなど大それたことを宣言しましたが、今日はここまで。